〔59〕再会

翌朝、藍はいつもどおり陽一郎と蒼のためにパンを焼いた。

「蒼、今日も遅いの?」
「しばらくマジで練習かな」

蒼はケータイを見ながら答えた。

「ふうん。マジでねえ」

二人を見送ると、藍は気合を入れて化粧をした。

とはいえ40にもなれば、気合を入れるのは下地とファンデーションまでだ。
下手に目元をつくるとやりすぎになる。
でも久々にグロスは使ってみた。

鏡に向かっていると、この間、デパートのカウンターで若い美容部員に言われたことを思い出した。

「とても40には見えないです。
37くらいかと思いました」

3つしか変わってないじゃない、とつっこむと、蒼より少し年上くらいの女の子は笑い転げていた。

ハーフ丈のジーンズに紺色の麻のシャツを選んだ。

買ったばかりのマルニのサングラスをカチューシャ代わりにする。

高田馬場で降りると、夏休み明けの学生たちであふれていた。

きれいになったようだが、根っこのところは何も変わっていない。

さかえ通りを歩く。

ホームページで地図を見たが、このあたりはほとんどESPの学舎になっているようだった。
12号館まであるらしい。

事務所のある館を訪ねるのに、脇道を歩くと「日本一魚がまずい店」という走り書きをした看板を見つけた。

小さな小料理屋だ。
きっとこういう店が美味しいんだろう。
なんだか、暖簾をくぐると詩夫がいそうな気がした。
久しぶりに肩を並べてみたい気がした。
そんなことを想像すると、ちょっとうれしかった。

画像


メインの校舎が見つかった。

が、蒼が授業をどこで受けているのかもわからなかった。

思いきって事務所で尋ねてみることにした。

藍は自分でも思いもよらぬことを口にした。
「すみません。
ギタークラフト科に水野先生という方は今もいらっしゃいますか」

事務員の女性は、愛想よく答えた。

「はい。まもなく午前中の授業が終わってこちらに戻りますが、お約束ですか」

約束などしていない。

藍はドキドキしながら答えた。
「ええ。父兄の者で、各務と申します」

「今もいらっしゃいますか」という言葉と「父兄の者」はつじつまが合わない。

けれど事務員は「父兄」という言葉に「はい」と笑顔になった。

しばらく椅子に座っていると、どこか面影を残したヒゲ面の詩夫が現れた。

「水野さん」

藍は立ち上がって名前を呼んだ。

「おお」

水野詩夫は小さな目を見開いた。

頬から顎にかけての白髪まじりのヒゲは意外だったが、目元は昔のままだった。

オーバーオールではなく、チノパンにオックスフォードのシャツを着ていた。

紐靴もきれいだった。
「各務藍さん。いや、ショートカットの面影もないね」

詩夫はにこにこと笑って言った。

「よく歌詞を覚えてますね」

藍は自分の歌の歌詞を詩夫がとっさに口にしたことに驚いた。

「ずっとファンですからね」

詩夫はにっこり笑った。

「ほんとにご無沙汰しています」

藍もにっこりしてお辞儀した。

二人は連れ立って外へ出た。

「ちょうどランチタイムだけど。
懐かしいとこへ行こうか」
「え」
「ま、ついてきてください」

神田川はきれいになっていて、もうあまり臭くなかった。

「このあたりは変わったようで変わらないですね」
「ESPがどんどん増えてるだけでね」

詩夫は言った。

二人はパンデュールという看板の前に来た。

「ああ。ここもまだあるのね」

藍はうれしい声をあげた。

「懐かしいでしょ。
藍さんと来たことはなかったか」
「でも、いつも前を通ったわ」

詩夫は彼女を先に店にエスコートした。

二人は20年前からある、コーヒーと薄いピザを頼んだ。

「実は、息子が通ってるのよ、ここに」
「へえ。
蒼くん… だったかな」

藍が蒼のことを話すと、詩夫は目を輝かせた。

「実はうちの長女も、今オレが教えていてね」
「あれ… 男の子が生まれたんじゃなかった?」

あの時、幸枝が身ごもっていて生まれた子どもは男の子だったはずだ。

「いやあの。年子でね。2番目の」
「あら」
「あの頃はビンボーだったのに、どんどん生まれちゃって、恥ずかしくてね」

詩夫は照れ笑いした。

照れた笑顔がまた変わらなかった。

藍はうれしくなって、たずねた。

「娘さんのお名前は?」
「詩音っていうんだ。まあ異性の子どもっていうのは可愛いもんだな。
だからあえて厳しく育ててるつもりだけど」
「詩夫さんが厳しい? 」

藍は詩夫と「厳しい」という言葉が結びつかなくて、苦笑いした。

「で、今日はなんでここへ?」

詩夫の質問にうなずきながら、藍は答えた。

「最近、なんかやる気になってるみたいだし。
私も音楽が懐かしくて。
ちょっとどんなことやってるのか、こっそり見に来てみたんだけど、こんなに校舎が増えてちゃ、どこにいるのかもわかんなくて」
「アーティスト科?」
「そうなの」
「血は争えないな」

詩夫はちょっと考えていたが、アーティスト科の生徒が練習している場所はある程度めどがついた。

「じゃ、ちょっと後で行ってみるか」
「わかるの」
「だいたいね」

コーヒーはあとひと口残っていた。

詩夫は体型も笑顔も変わらない藍に、尋ねた。
「最近、歌ってないの」
「歌ぁ。まさか」

藍は笑い飛ばした。

が、その顔を哀しそうに見た詩夫に気づいた。
「ごめんなさい」

藍は思い出したのだった。

「Sing & Run、って書いてくれたのにね、ギターに」
「… 」
「私、歌い続けられなかった」

藍はしみじみとコーヒーカップを両手で包んだ。

「いや、まあ、しょうがないよ」
「一発屋だったから」
「デビューしてヒット曲があるだけでもたいしたもんだよ」
「あれで終わっちゃった」

藍は詩夫の前では、今も本音が言えた。

そして詩夫は相変わらずやさしかった。

「何言ってんだか。
人生まだ半分も来てないのに。
… とにかく、見に行こうよ、蒼くんをさ」

詩夫はさっと清算書を手にした。



※映画『音楽人』挿入歌MAY'S『永遠』が、12月30日よりレコチョクに着うた(R)・着うたフル(R)が配信となり、 
http://recochoku.jp/mays
1月13日に発売され、オリコンデイリー3位、ウィークリー4位となった
MAY'Sの2ndアルバム『Amazing』に収録されています。

映画『音楽人』本編映像の佐野和真さんと桐谷美玲さんのダイジェストシーン45秒版を公開開始しました。



http://www.youtube.com/watch?v=_ywWEAqm5nM


※映画化を記念して、12月8日より再連載を開始しました。

※フォトブログ小説『音楽人1988』 目次
〔1〕藍気流、歌う
〔2〕見守ってくれる恋人
〔3〕二人の出会い
〔4〕いつもと違う記理子
〔5〕結果発表始まる
〔6〕意外な受賞
〔7〕これからのこと
〔8〕祝う人々
〔9〕黒い涙
〔10〕隠されていた分かれ道
〔11〕2匹のパンダ
〔12〕中野のカフェバーで
〔13〕プロの意味。オトナの意味。
〔14〕記理子の背中
〔15〕真っ赤なアルファ・ロメオ
〔16〕決意
〔17〕ミスター・ジョー
〔18〕息ができない!
〔19〕記理子の誘い
〔20〕嵐の夜
〔21〕ありえない夜
〔22〕5万円のテレフォンカード
〔23〕「異常のない」異常
〔24〕詩夫のアパート
〔25〕陽一郎の頼み
〔26〕盲目の美少女
〔27〕桜の花びら舞う下で
〔28〕藍色のギターを
〔29〕ハートのイヤリング
〔30〕古いセーター
〔31〕記理子の告白
〔32〕ハカラング
〔33〕二つの待ち合わせ
〔34〕詩夫のいる場所
〔35〕詩夫の婚約者
〔36〕追いかけてきたオーバーオール
〔37〕ウェディング・ドレス
〔38〕アーティストの条件
〔39〕同じ煙草
〔40〕たった一つの居場所
〔41〕伝えたい歌
〔42〕THEギョーカイの人々
〔43〕幸枝の願い
〔44〕恋に似た思い
〔45〕窓
〔46〕傘の向こうに
〔47〕「Call my name」
〔48〕スキャンダル
〔49〕詩夫の言葉
〔50〕最後のチャンス
〔51〕コンクリートの上で
〔52〕したことのないキス
〔53〕つないだ手と手
〔54〕取り戻せた友情
〔55〕Sing and Run
〔56〕降ってきたデビュー
〔57〕各務家のリビングで
〔58〕昔話
〔59〕再会
〔60〕夢のゆくえ

※『音楽人1988』からの20年後、藍・陽一郎・詩夫の子供たちが織りなす2008年を舞台にしたケータイ小説『音楽人2008』。
※『音楽人1988』と『音楽人2008』は、音楽と楽器の専門学校【学校法人ESP学園】を舞台とした物語です。
※映画化が決定しました!
 ・音楽人が佐野和真さん・桐谷美玲さんダブル主演で、映画化されることになりました!
 ・佐野和真×桐谷美玲×加藤慶祐×古原靖久×足立梨花=映画『音楽人』まとめ


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